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"エンカウント(遭遇)"
は、は、は、と奇麗に腹の底から挙げられた、だのに清清しさの欠片もない哄笑を耳に
した島崎は、何よりも先ずそれが自分と然して変わらぬ年頃の少年の声である事に驚き、
頁を繰っていた文庫から顔を挙げた。
冷えて久しい都下の空気が、ともすればちりちりと膚を浅く掻くように頬や指先を撫でて
行く。とある十一月二日の、時刻は
午
(
ひる
)
を過ぎたところだ。明日から始まる件の大学の文化
祭を、笑声の主が観に来たのであろう事は、連れ立って歩いている――島崎が電車で三時間
以上かけて会いに来た相手だ――人物の素姓からも火を見るより顕かだった。そうした意味
では一般家庭の常識を遥かに陵駕する恵まれた環境の中、三年次にして<廃線映画舎>の
機械
(
メカ
)
系統総轄
(
ニックマン
)
と化しているらしいその人が、明日から始まる三日三晩の空騒ぎに強制参加を余儀
無くされるだろう事は想像に難くなかった。祭りに乗じる気でも無ければ、訪ねたところで
空振りに終わるだけである。かの人がある種の、酷く閉じられたものづくりと云う行為に、
半ば以上憑かれている事実こそ知っていたものの、それが何かに活かされるところを眼に
した事のない島崎には、この文化祭中に催される短編映画の上映会は、多少の無理を押して
でも押さえておくべき一大
催事
(
イベント
)
ではあったのだが――。
「大体なあ、お前なあ、こんな大祭とか、のほほんと来てる場合か。勉強せえよ受験生」
見憶えのない小柄な少年を酷く厭そうに横目で見遣り、相変わらず喉でも傷めたかの
ような
轣轆
(
がらがら
)
声で中原が言う。既に耳慣れたものとなった、訛の強い語調が憶えのある文句を
紡ぐので、笑いを堪えながら島崎が声をかけようとした時、隣を歩いていた少年が酷く
痙攣的な動作で
倩兮
(
けらけら
)
と笑った。
温順
(
おとな
)
しそうな容姿に
似
(
そぐ
)
わぬ
囂
(
けたたま
)
しさだ。凡そ快濶さだとか、
明朗さと云った言葉とは無縁のどす黒い何かを感じて、一瞬二の句が告げなくなる。仲良く
なれそう、とか、
寸暇
(
ちょっと
)
思ったのに。
決して体格が良いとは云えぬ中原よりさらに小柄な少年は、偉そうに胸を張り腕を組んで
にたあ
(
、、、
)
と笑った。
顔の半分が口だ。
「厭だなあ。いッくら自分が老若男女問わずもてるからって、その決付けは
一寸
(
ちょっと
)
自信過剰
なんじゃないっすかァ?」
「あァ?」
「俺は先輩に数学と物理と地学教わりに来たですよ。おベンキョーしに来たのよ。だって
ジュケンセーだもんッ」
「阿呆か! キモい声出すな! ていうか、ぼく、殆ど寝てへんのですけど。三教科。教え
ろってか。他当たれ他」
「はッ。なァに一般市民みたいな事言っちゃってんでしょうねえこの人は! 高校ン時の
あんたなら、そォんな
軟
(
ヤワ
)
なこと言わなかったぜえ」
――何、それ。
蒸返されたくはない話だったのだろう、珍しく鬱陶しそうな声で、キタ、と諫めた中原が
顔を顰める。酷く興味を惹かれる少年の物言いに、島崎は思わず、その顔を繁繁と見た。
中途半端に手を振ろうとして止まったままだったかれに眼を留め、
キタ
(
、、
)
と呼ばれた少年は
片側に大きく傾いだ微笑をちらりと覗かせた。
「兄さん、お客さんのようだぞ。まァたこんな、純朴そうな若人を
誑惑
(
だまくら
)
かしているのかい」
「…あのさ、それ、その喋りって、素?」
明らかに同い年の少年に若人――と呼ばわれて、思わず口を吐いて出たのはそんな甚だ
相応しからぬ言葉だった。
態
(
わざ
)
とらしい程不遜だった少年が思いがけず鼻白む。相変わらず、
吃驚
(
びっくり
)
するほど軽薄そうにげらげらと笑って、中原はよう来たなァ島崎――と、定規を当てて
切出したように精確な挨拶を寄越した。
つい
先刻
(
さっき
)
の一幕がまるで嘘のように折目正しく、北原です――と名乗った少年は姿勢良く
島崎に頭を下げた。文句なし糊の効いた余所行きの挨拶を、困った奴だと言いたげな顔の
中原が斜に見ている。
「あ、島崎っす。島崎、晴紀っていいます」
北原なに君、と、内心やや戸惑いながらも何の気なしに問返すと、北原と名乗った少年は
それはそれは大きな両の眼で、ふっ、と伏目勝ち物憂げに微笑した。木枯しでも吹抜けた
ように
果敢無
(
はかな
)
げな、翳りある笑みだった。
「…下の名前は。余り、好きではないので」
「あっ、そうなんだ。ごめん」
癖のある髪をぐしゃりと片手で掻混ぜながら、島崎が
慌忙
(
あたふた
)
頭を下げるのと、中原が隣に
あった後ろ頭を容赦無い仕種で張倒すのとは、殆ど同時の事だった。うそつけェと珍しく
早口で投げつけられた言葉を、何すんですかァ――と打って変わって元気溌剌、叩かれた
場所を摩って北原が迎え討つ。
「もうちょいで騙し仰せるとこだったのに!」
「だからや! お前なァほんま大概にしとけ! 島崎は見ての通り善人なんや! 玩具に
すな!」
――見ての通りっすか。
自明の理のように言い切られ、何とはなし肩を落とす島崎を覗き込むようにして、中原は
心の底からすまなそうな顔をした。
「ごめんなあ、島崎、こいつ悪い奴やねん」
「ははははッ」
そこ悪い奴じゃないって言うところでしょ――と、矢張り酷く
噪
(
かまびす
)
しく声高らかに笑って、
北原は悪い人でえす、と悪びれず手を挙げた。訳もなく疎外感を感じて、島崎ははあ、と
気の抜けた返事をする。するとまた笑われた。度重なると結構
煩瑣
(
うるさ
)
い。
「善い人だなあ島崎君。つか、あんたも丸くなりましたねえ、うんうん」
「優しい眼で見守るな! てかいい加減止めえよ。高校ネタは」
「…感じ、違ったんすか。高校ん時」
気後れしながら思わず口を挟むと、北原の顔が輝いた。そうさあ――。
「高校ン時のこの人と云えばもう、そりゃおっかなくてな。普通ン時は普通に愉快な人
だったんだが、一遍地雷踏まれるとな、相手が立直れなくなるまで――」
「止ーめーろーやー」
中原の間延びした制止の声も何処吹く風、一体何が嬉しいのか矢鱈とにこにこしながら、
恐ろしいが恰好よくてなァ――と付け足した。
高校ン時のあんただったら――。北原にしてみれば何気なく発した筈の言葉が、島崎に
とっては天地が引ッ繰返される程の衝撃だった。考えてみれば当然の事だが、この人にも
そんな時代があったのだと思うと何故か言葉を失くしてしまう。
「…えぇっと、その、二人は、どう云う、」
「んー、そうなあ」
「…難しい事訊かれましたな」
辛うじて覚束ぬ問いを投げかけると、北原と中原は奇麗に左右対称の軌道を描いて顔を
見合わせた。余計寂しくなった。この状況は何だろう。大体、俺が先約だった筈なのに。
「何やっけ。最初。何繋がりと言うんだ?」
「そうねェ――」
真直ぐに斜め上を見据えたまま、北原は薄く笑みながら俺が迷惑メールを送ったのよねと
呟いた。島崎の眼にはどう見ても何も無い虚空にしか思えぬその一点に、
恰
(
あたか
)
も何かが象を
結んでいるかのような焦点の合い方だった。小さい頃親戚の家に居た猫が、何も無い処を
只管
(
ひたすら
)
凝視していて、子供心に不気味に思ったことを漠然と思い出す。何が見えて居るの
だろう。
「凄い好きな映画監督が居まして。その人が趣味で、
無所属
(
インディーズ
)
で撮った短編映画があるの
ですよ。それを探してあちこち当たってたら、行き着いたのがこン人の親父さんで」
「あッの、迷惑親父ッ!」
突如
(
いきなり
)
信じ難い程――島崎にとっては――声高に吐捨てた中原に絶句していると、北原が
慣れた様子でまあまあと執成した。
思い出すだに腹が立つわ、とその手を払除けてから、中原は漸く我に返ったらしくぽつ
ねんとしている島崎にそれは真剣な
眼眸
(
まなざし
)
を向けた。「――ほんっま、しょうもないねん。
あいつ」
「この人らはねえ、お互いにお互いを傍迷惑日本代表だと思ってるからねえ」
半笑いで付足した北原の言葉がほんの少しだけ癪に障った。聞くともなし聞いていた
かれら父子の確執は、島崎のような部外者にはおいそれと嘴を挟むことも出来そうにない
ものだった。それをこうもあっさりと、笑い飛ばせる神経が知れない。どれだけ旧知の
間柄であったとしても、かれとて所詮第三者には違いあるまい。
「どう考えても奴の方が迷惑や!」
「はいはいはいはい」
ぽんぽんと軽く手を打って、北原はまるでその主張にも取り合わず、そんで――と話を
強引に戻した。それがまた癇に触った。島崎にしてみれば咎めたいのに続きは聞きたいと
云う、まるで謂れのない板挟みに遭わされ間尺に合わぬことこの上ない。数瞬思い巡らせた
後、温順しく口を噤んだ。物申すのは全て聞き終えてからでも遅くはあるまい。
「親父さんがどうしたんすか?」
中原に向けて問うたのに、大方の予想通り口を開いたのは北原だった。美術をされてまし
て――と、見てくれに不相応な美しい日本語を遣われ、満足に相槌も打てない。
「静止画と
講談
(
ナレーション
)
と音楽だけで話が進んでく奴でな。アレも
映像造形作品
(
クレイアニメ
)
と云うのか? まァ
舞台装置作ったのがその迷惑お父さんだからねえ、そりゃもう異様に、サンダーバード
ばりに写実的でしたけど」
「
牧歌的
(
メルヘン
)
のメの字も無え」
「解ったって。どうどう。ナカさんが親父さんに発奮してるだけじゃあ、いつまで経っても
彼には事情が判らんでしょ。…でな、監督の撮り方も好きだし、その装置も俺、大好き
だったんすけど。その、脚本を書き、人形を作ったのが」
「作らされたんじゃ!」
「…作らされたらしいのが、当時若干十六歳の中原少年だったと、そう云う
仔細
(
わけ
)
です」
依然として何も無い一点を見据えたまま、北原はふにゃりと頬を崩した。笑いを堪えて
いるような、奇妙な歪み方だ。中原はと云えば、憮然とした面持ちで正面に置かれた島崎の
携帯を凝眸している。何がそんなに気に入らぬのか、島崎などには到底慮ることは出来まい。
「もンの凄い話でな」
俺は柄にもなく大泣きしまして――と、今度は心からのものらしい、薄墨を流したような
笑みを北原は覗かせた。それがあまりにも真摯な色をしていたので、島崎は今日一番の
寒波に一人襲われた。とてつもなく孤独だ。踏込める領域ではないのだと思った。帰ろう
かな。もう。
「いッくら驚いたかて。来るか普通。山梨の片田舎から東京まで」
「またまたァ。嬉しい癖に」
「嬉しいことあるかッ! ドン引きすぎてどうでも善ォなっただけじゃ!」
「嬉しいねェ。――ま、そんな経緯がありまして。現在では目出度く師弟関係に」
「腐れ縁やな要するに」
要するに――では確実に纏まらぬ話を強引に纏めて、中原はあちこちにあるポケットを
暫しの間ごそごそと探っていたが、やがて諦めたように鍵を掴んで鈍鈍と立ち上がる。
「――あかん、煙草買い忘れた」
「何しに何処行ったんですかあんた今。買い出しにコンビニへだろう。何で忘れるかな」
絶妙に回り
諄
(
くど
)
い北原の突っ込みを喧しいと切捨てて、中原は所在無さげな島崎を数瞬、
躊躇うように見た。
「…あァ、その、こいつが、…なんか、したら。殴っていいから」
――何されるんだろう俺。
余計不安を煽る
進言
(
アドヴァイス
)
と、ひっでえ――と爆笑する北原を残して、男は気持ち速足に部屋を
出て行く。身の置き所がなくなったような気がして、もぞもぞと座り直す島崎とは対照的に、
まるで己が
邸
(
いえ
)
のように寛ぎきった北原は机の前に据えつけられた家主手製の
錻力
(
ブリキ
)
の椅子を
見て何だあれ、と呆れたように小さく笑った。意外と普通の反応だ。
「あれ、何か、昔作ったものを
再利用
(
リサイクル
)
して恰好いい椅子を作ろうと思って、作ったって」
「へえ」
まあ恰好佳いッちゃ佳いがな――と独りごちてから、少年は不意に島崎にその眼を向けた。
凝視だ。
眼が逸せない。
「…島崎君はあれだ、何処でどうしてあの人と知合いに?」
「あ、え、うん」
矢張り案外普通の質問が飛んできた事に正直面食らいながら、島崎は思い出し思い出し、
北海道旅行での経緯をかれなりに手短に纏めた。語っている内に多少熱くなりすぎて、喋り
すぎた部分も無きにしもあらずだったが、兎に角できる限り簡潔に伝えたつもりだった。
うんうんと興味深げに聞いていた北原は、語り終えた島崎に一言、成程なあと腑に落ちた
ような声を投げて寄越した。
それきりだった。
正直茶化されることを覚悟していた島崎は、空気の抜けたような声を洩らした。えェ――。
「ん? 何か?」
「いや、――馬鹿にされるかと思ってたから」
「何で? 俺と大差ねェじゃん」
突如その辺の高校生のような口調で囀って、北原はけろりとしている。いや、その辺の
高校生なのか。確か同い年だ。混乱する島崎に、何事もなかったようなふやけ声が誰かに
馬鹿にされたんけ――と尋ねた。何弁だろう。
「馬鹿にされたっていうかね。あのさ、宮沢謙司さん、いるでしょ」
「あァ。後輩らしいなあ」
「うん。俺、夏に
特別開校
(
オープンキャンパス
)
来た時、道訊いたりしたのが偶然、あの人だったんだ。そん時
にね」
何処で、って言ったってあの人には無駄だよな――。
骨筋の浮き出た、がりがりの手指で頭を掻きながら宮沢は実に物憂げにそう口にした。
確かにそれはその通りなのかも知れないが、あの日あの時、中原が島崎と偶然同じ場に
居合わせた事実を、
投矢
(
ダーツ
)
の目のように言われたくはなかった。
行きたい所など無いのだとあの人は言った。
何処に居ても同じだ、とも言っていた。
一字一句忘れずに憶えている。それが本当なら、あの旅の過程そのものが、なんと虚しい
代償行為であることか。島崎のような部外者にも、その程度のことは判る。それだけのこと
しか判らないのだ。
「宮沢さんが悪いんじゃないけど。……こんなこと言うと、笑われるかも知んないけどさ」
「笑わんよ」
酷く詰まらなそうにぼそりと答え、腕組みをした北原は片目を器用に見開いて心外の意を
示して見せた。俺はほらこんなんだろう――。
「まあ一見何処とも円滑に巧くやってはいるけどな、友人と呼べる人は少ないよ。激
稀少
(
レア
)
だ。ただあの人は、その数少ない友人と呼べる人間、だと、うん、思っている。まあ、
向こうはどう思ってるか知らないけどな」
填絵
(
パズル
)
の
破片
(
ピース
)
を順繰り並べるような言葉を、島崎は黙ったまま聞いている。何を答えるに
しても、逸るなと態度で示された。たった数十分の間に、目の前にいるこの少年に。
「友人を
蔑
(
ないがしろ
)
にされて気分の良い人間はいないよ」
故意にしろ過失にしろな。そう付け足して北原は、
謔
(
おど
)
けたように笑った。
仲良くなれるかも知れないと、寸暇思った。
「あのさ、」
「うん?」
「うん、北原君って、ほら、キャラ濃いでしょ」
「それは勿論褒め言葉で言ってるんだろうな?」
にたあと底意地の悪い笑みを浮かべる少年に、いやそれは、場合に依るけど――と真
正直に答えて、島崎はぐしゃぐしゃと癖のある髪を片手で掻いた。右肩上がりの小馬鹿に
しているとしか思えぬ笑いを浴びながら、両掌を膝に戻して慎重に言葉を選ぶ。
「だから、割とガンガン言えちゃう感じだから、それは中原さんとかもそうっぽい気する
けど――、俺もなんか、無神経な事言うかも知んないけどさ」
地雷とか踏んだら言ってね、と、大真面目に申し出た。俺、割とうっかり物言っちゃう
時あるし――。
「悪気がなきゃいいってもんじゃないから」
「まあそりゃそうだ」
可笑しそうににやにやしていた北原は、矢張りそのままの判り悪い口調で、下の名前が
嫌いなのは本当だと短く告げた。生真面目に聞いていた島崎は、最前から気になっていた
にも拘らず、奇麗に
黙殺
(
スルー
)
されていた問をもういちど口にした。今度は答えて貰えそうな気が
したからだ。
「あのさ、」
「む?」
「む? って。――だからさ、どうしても気になんだけど。その喋りって、素?」
今にも人生相談でも始めそうな面持ちの純朴少年に、胡散臭い程不遜だった北原が数瞬
緘黙
(
フリーズ
)
する。
凝視だ。
それはもう半端なく凝視だ。
優に三四呼吸は置いて、どうしても眼が逸せない島崎がやっとの思いで瞬きをするのと
殆ど同時に、その辺の高校生のような顔が笑った。
「ンなわきゃねえだろばぁか」
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間が変
img:
大阪ラブポップ
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55 STREET
/
0574 W.S.R
/
STRAWBERRY7
/
アレコレネット
/
モノショップ
/
ミツケルドット