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ⅴ
『どこにでも行ける切符』
監督：上田便箋人/脚本：中原宙也
米つきバッタのホッパーは、世界で一番速く走れます。
どんなにひどい嵐の中でも、どんなに深い霧の森でも、その強くてたくましい二本の
うしろ足で、どこにでも、どこまでもどこまでも走れます。
あんまり速く走るので、ある日ホッパーは切符を一枚、手に入れました。世界じゅうの
旅びと、いいえ旅
虫
(
、
)
も旅
魚
(
、
)
も旅
鳥
(
、
)
だってあこがれる、『どこにでも行ける切符』です。
『どこにでも行ける切符』は、どこにでも行ける切符です。期限だってありません。
どこに行っても使えます。地球の裏側だって、天井裏の入口だって、誰かの夢の中だって、
自由自在
(
ノーチェック・フリーパス
)
です。どんな場所でも使えます。いつまで経っても使えます。
「いいなぁ、ホッパー。」しゃくとり虫が言いました。
「おいらなんか、こんなに足があったって、からだの長さのせいぜい半分くらいしか、
いちどにすすめないんだ。」
「すごいや、ホッパー。」ひまわりの種たちも、口々に言いました。
「ぼくらなんか、こんなにたくさん仲間がいたって、とびきり運がいい奴以外は芽も出せ
ないのにさ。」
おめでとう。おめでとう。みな口々にホッパーを誉めたたえます。あんまりみんなが
笑うので、ホッパーも嬉しくなって笑います。
「ありがとう、みんな。元気でね。」
「いってらっしゃい。」
「さよなら。」
「さよなら。」
たくさんの友達に手を振られて、ホッパーは旅立ちました。
どこにでも行ける切符は、本当にどこにだって行けるけれども、ここにだけはいられない
からです。
どこにでも行ける切符と、その強くてたくましい二本のうしろ足で、ホッパーは旅を
続けました。うつぼかずらにおっこちそうになっているてんとう虫を助けたり、これから
アゲハチョウになる予定のさなぎにどくだみの傘をさしかけてあげたりしながら、川を
渡り山をこえ、本当にどこまでも行けるような気がしていました。ただ走ることが楽しく
て、嬉しくて、夢中になっているうち、旅の疲れが出たのでしょうか。ある日ホッパーは、
なんと、おもちゃかぼちゃの畑で白うさぎ電車からふり落とされてしまったのです！
「わあっ。」
ポーンと空高く飛ばされて、ホッパーは悲鳴をあげました。米つきバッタのこけんに
かけて、なんとか着地はしましたが、さすがにへとへとになっていて、足元がふらふら
します。
「ここで少し、休んでいこう。」
そうつぶやいて、ホッパーはぐるりと辺りを見回しました。おもちゃかぼちゃの畑駅は、
見渡すかぎり色とりどりの、ユニークなもようのかぼちゃにあふれかえっています。桃色の
水玉、水色のしましま、赤と緑のチェックもあります。真っ白くてつやつやの、小ぶりで
上品なかぼちゃの隣りには、黄色と黒のまだらもようの、ずんぐり大きくて
はで
(
、、
)
なのが、
どっしりかまえていてまるでにらまれているようでした。
「すごいなあ。」
ホッパーは目をぱちぱちさせて感心しました。どれもこれも、きれいなもようばかりです。
どうやったら、こんなもようになれるのでしょう。ここの畑の中にいたら、どんな色にも
なれるのでしょうか。ホッパーには、ふしぎでなりません。
「すごくなんかないわ。それがおもちゃかぼちゃの畑駅だもの。」
「わあっ。」
きゅうに足元で声がして、ホッパーはとび上がります。見れば、白うさぎ電車の半分
くらいも大きな大きなほかのかぼちゃにまじって、黄色い花をつけたばかりの、青くて
小さなおもちゃかぼちゃの女の子が、不きげんそうにこちらを見上げてちょこんとすわり
こんでいました。
「なあんだ。」
ほっとして、ホッパーは笑い出しました。「こんにちは、初めまして。おもちゃかぼちゃ
のおじょうちゃん。」
「子どもあつかいしないでちょうだい。」
ぴしゃりと言って、おこったように、おもちゃかぼちゃの女の子は大きな目をつりあげ
ました。
「あたしには、リコシェっていう名前があるの。あなた、おとなのくせに、しつれいね。」
「わあっ。ごめん、ごめん。」
ホッパーはあわてて、あやまりました。……
「何見てるの？」
「おおっとォ！」
ばん。
突如
(
いきなり
)
背後からかかった声に素ッ頓狂な悲鳴を挙げた。力任せに落とした
映写機
(
プロジェクタ
)
の蓋が酷い
音を立てる。陽に焼けた
銀幕
(
スクリーン
)
を何故だか懐かしそうな顔で眺め、菊名はぽつりと呟いた。
八
粍
(
ミリ
)
ね――。
「古ゥい映画です。
非版権
(
インディーズ
)
の。部屋掃除してたら出て来たんで、懐かしくなって」
巻軸
(
リール
)
を備え付けの
筥
(
ソケット
)
にしまい込みながら、努めて衒いなく北原は答えた。ほんの小さな、
その上酷く一方的な罪悪感が
手枷
(
ネック
)
となって、菊名にはどうしても
手厚く
(
、、、
)
なってしまう。
少しだけ残念そうに、伏目勝ちの黒い眸が撤収された八粍を追う。
「続き、観ないの」
「残念ながら、これは一人で観る決まりなんですねえ」
なら部屋で観ろってな――。口数の少ないかの女が、そうでなくとも間違いなく思い
到らないだろう
指摘
(
ツッコミ
)
を手ずから施して、道を塞ぐように微笑んだ。困ったような、寂し
そうな顔をちらりと覗かせた菊名は、そう、と小さく頷き片隅の本棚に向き直る。何か
探しに来たようだ。外は八月の末とは思えぬ蝉の声と刺すような陽射に満ちている。
――暑そうな。
散らかした荷物を手早く纏め、
把手
(
ノブ
)
に手を延ばしかけた北原の背に、ともすれば聞き
逃してしまいそうな、小さな声がひとつ当たった。善かったら――。
「今度貸してね。ちゃんと一人で、観るから」
思いがけず強い言葉に眼を瞠り、北原はそれから手綱を弛めるように笑った。そうですね、
そのうち――。
悠
(
ゆっく
)
りと時間をかけて、なるべく衒いなく。ほんの些細な謂れのない罪悪感が
手枷となって、この人にはどうしても手厚くなってしまう。
そのうち、と小さく頸を傾げた菊名は、矢張り少し残念そうな顔をして、厭だったら
そう言って善いのよ、と困ったように答えた。
「いえ。そのうち屹度、必ずですよ」
執拗
(
しつこ
)
いほど念を押して笑った。この人はいつまでも、袋小路に居続けるような人では
恐らくないのだろう。いつかそこを抜け出せたらと、勝手に決めて約束をした。いまは
まだ観せる事が出来ないと云う、それだけのことだ。
間近で一際大きな蝉の声がした。却って少し済まなそうに笑う、菊名に背を向け真夏日の
下へ進み出た。無数の人の無数の可能性と云うものを、丸ごと信じてみたい気持ちになる
時がある。それでも
確乎
(
しっか
)
りと蓋をした映写機の中身をふと思い出す。
済まないな、と誰にともなく思うのだ。どんなにかそれが――少なくとも今あるもの
よりは――正しい
像
(
かたち
)
をしていたとしても、北原には菊名の、味方をすることが出来ない。
悲しいほど無防備に笑う根津の顔を知っている。どれ程の過ちであっても、それを貫けば
善いと思いながら、前を行く人の姿勢の悪い背をずっと着かず離れず追ってきた。その
楔を、望みを金繰捨ててしまったら、あの人は屹度本当に、及びもつかぬものになって
しまうのだろう。それは厭だった。それだけは厭だった。やっと掴んだ足掛りなのだ。
済まないな、と誰にともなく思うのだ。無数の人の無数の可能性と云うものを、丸ごと
信じてみたい気持ちになる時は確かにある。
壊れているのか何故か珈琲だけが二本出る自動販売機の前で竹久を見かけた。
恒例
(
いつも
)
の
ように後ろからフードに余った一本を叩き込んで笑ってやった。挙げる――。
先刻
(
さっき
)
の北原に負けず劣らず珍妙な声を挙げてのけ反った男は、悪態を吐きながら不服
そうに口を尖らせた。
――んだよ、ッ痛えな、
――ありがとう。
意味が解らない。酷く愉快な気分になった。笑いながらその場を後にする。まるで無意識
なのだろう、竹久はいつも上手に人を軽くする。
苦くない珈琲を飲干して外に出た。
雨に降られた。
※横
移動
(
パン
)
から
露出
(
カットイン
)
……ある時、ホッパーはずっと不思議に思っていたことを、まじめな顔でたずねました。
「ねえ、リコシェ。僕がここにきた日、君は言ったよね。いろんなもようのかぼちゃ達に
僕がびっくりしていたら、“それがおもちゃかぼちゃの畑駅だもの”って。」
「ええ、言ったわ。」
「それって、どういう意味？」
「そのままの意味よ。」
そんなことも知らないの、と、リコシェはじまんげに、大きな目をくるくるとさせて
笑います。
「おもちゃかぼちゃの畑駅では、なんだって思いどおりになるの。この畑のなかにいる
かぎり、私達おもちゃかぼちゃは、どんな色にだって、どんなもようにだって、目をとじて
思いえがくだけでなれちゃうよ。」
「へえ、すごいんだね。」
ホッパーが目をまるくすると、リコシェはにっこり笑ってうなずきました。「そうよ。
すごいでしょう。それがおもちゃかぼちゃの幸せなの。」
そうして、感心してばかりいるホッパーに、いつものこまっしゃくれた口調になって
たずねるのです。
「ねえホッパー。あなたたち、米つきばったの幸せは？」
むじゃきなリコシェの問いかけに、今度こそむねをはって、ホッパーは答えました。
「どこにでも、行けることさ。」
誇らしさでいっぱいの、ホッパーの手の中の切符と、つるでがんじがらめの小さな足を
かわるがわる見比べて、リコシェはおもしろそうに言いました。
「ねえ、ホッパー。わたしたちって、ずいぶんちがうのね。」
※横
移動
(
パン
)
から
露出
(
カットイン
)
※雨、
仰撮
(
ブローアップ
)
目に見えるものを集めて――。
見えない処を
覘
(
のぞ
)
いたつもりになっているだけだわ――。
輪廓
(
かたち
)
を成さぬ価値など所詮思い過ごしだと、詰るような口調で静はそれでも奇麗な
音を紡いだ。中庭から吹込む小さな波紋のような風が、薄い紗の布地の裾を微かに引いた。
「人を評価する時、ものを言うのは見えてるものだけよ」
前触れもなく降始めたと思ったら、
活栓
(
コック
)
でも捻るように掻消えた夕立の名残を払い落とし
ながら
決然
(
きっぱり
)
と言う。静は
端的
(
シンプル
)
だ。目に見える基準だけを愚直なまでに真直ぐと信じている。
この人をすんなり奇麗なものに思えたことは、ほんの四箇月前の北原にしてみれば、ある
種の小さな救いのようなものだった。今ここに立っている事が、経過はどうあれ確かに
辿着いてはいるらしいと云うその事実が、眼を醒ませば泡のように立消える
幻視画
(
ジオラマ
)
などでは
ないのだと――確かめる
便
(
よすが
)
のようなものだ。それは確かにそうだったのだ。些細やかなその
陰翳に、酔うことの出来る質だったならどんなにか楽だったろう。
馬鹿らしい。間近に響くのは厭と云うほど聴き慣れた己の声だ。仮令そうなったところで、
あの日の四角四面の部屋にまた引戻されたところで――それで命を落とす訳でもあるまい。
何を
懦
(
おび
)
える。
「どうしたの、黙りこくって」
傘ぐらい差しなさい、と良く出来た姉のように北原を叱りつけた静は、どうしてあなたは
そうなの、と不愉快そうにすらりと美しく整えた眉を顰めた。普通にして居れば善いだけ
でしょう――。
「あなたが
温順
(
おとな
)
しいと却って
鬼魅
(
きみ
)
が悪いわ」
肩透しを
喫
(
く
)
わされたような腑に落ちぬ顔で、奇麗な
朱色
(
カーマイン
)
の傘を畳んだかの女は、立込める
土の薫りに長い睫毛に縁取られた眼を細めた。もう夏も終りね――。
乾いたタオルを頭から被り、北原も窓の外を見た。濡れた服が肌に張付いて酷く蒸暑い。
洗い立てのタオルは柔軟剤の匂いがした。良い匂いだ。それを殊更間違ったやり方で、
口にする気も今は起きない。
可哀想ねと、調律されたばかりの
洋琴
(
ピアノ
)
の鍵を打つような声で静は言った。可哀想ね――。
「そんなに沢山のものを持って生まれたのに、些細とも嬉しくないのね。不憫だわ」
静は
簡潔
(
シンプル
)
だ。目に映るものだけを
直向
(
ひたむ
)
きに信じ受容れる。北原には短い夏をまたひとつ
越したと云うことがどうしても信じられないと云うのにだ。
確かにひとつ駒を進めたのだと知ることの出来た、あの頃の怯えた少年には荷が勝ち
過ぎただろうこの人を奇麗なものに思えたことは、少年を
已
(
や
)
めつつある男には最早安寧を
齎すことはない。あんなに楽だった筈なのに。
「今年の夏風邪は質が悪いらしいわよ」
早く帰って着替えなさいね。何処か寂しそうな声が言った。去って行く人の背中を、その
手に提げた華奢な朱色の鮮やかな傘を、それでも朧り奇麗だと思った。
※
中央
(
センター
)
から波紋、
払拭展開
(
ワイプ
)
眼を醒ますと、桃色懸かった茜色で世界がいっぱいになっていた。雑然としているのに
生活感のまるでない十七畳の角部屋の、あまりの美しさに声を
罔
(
な
)
くした。
開いたまま
寝台
(
ベッド
)
に伏せられた安い紙の束も、
横倒しに転がされた空の
小壜
(
ボトル
)
も、
煙草の空き箱も、
真新しい
液晶
(
プラズマ
)
も、
髪も、
掌も、
凡てがぐっしょりと染まっていた。
同じ色など出せる気がしない。殆ど絶望に似た憧憬を覚えながら、瞼の奥のそのまた
向こうにその色を
影写
(
ストック
)
した。忘れる訳には行かないのだと、何故かそんなことを思った。
PCの横に放り出されたままの鍵を掴んだ立上がる。大方の予想通り家主の姿はなかった。
勝手に出て行けと云うことなのだろう。異論はない。
どんな時でも自分で選ぶ権利と猶予を与えてくれる人だった。起こしてしまった事態の
招く重みを、確乎りと科してくれる。まるで無意識なのだろう、中原は時時驚くほど精確に
人を楽にする。
外の郵便受けに鍵束を放り込み、温順しく家路を辿る。流石に着替えたい。
暫く何も考えずに歩くことに没頭した。こんなとき思い出す出来事は、総じて碌なもの
ではない。機械的に鍵を開け、機械的に着ていたものを脱捨てると、頭の中に零度の黒を
引きながら
撒水口
(
シャワー
)
の活栓を捻った。
安い禊だ。洗い流すことの出来るものなど高が知れていた。笑い出しそうになって酷く
疲れた。
夢の中ですら憬れていた。錆びた真鍮色の
仮漆
(
ニス
)
の塗り。粘土作りの
飛蝗
(
ばった
)
はいつも同じ
顔をしているのに、
画格
(
アングル
)
に拠って泣きも笑いもした。時間の桁を踏外して尚、流離うために
生まれたのだと聡明に老いた犬のような
鬱金香
(
チューリップ
)
帽の男は弱く笑った。北原の知る画物語
とはそうしたものだ。何処までも遠く、泣く気も失せるほど見通せるものだった未来を、
予想だに出来ぬ場所へと連れ去ってくれそうな、――やっと掴んだ足掛りなのだ。
普通にしていれば善いだけでしょう――。
態態
(
わざわざ
)
人の不興を買うような真似をして。善く出来た姉のように静は言った。それが何より
耐難い苦痛なのだと、その先に見える平坦な道程に、気が
狂
(
ちが
)
いそうに
慊
(
あきた
)
りぬからこそ今
此処に居るのだと、あの人に伝えることなど恐らくは出来ないだろう。
――何、その、作り笑い。
――意味判んねえし。
いっそ戸惑いがちに言って、少女は重たい扉の向こうに消えた。
俯いたまま見下ろす、開いた指先を透通った液体がぼたぼたと伝った。
微かに黴と消毒液の匂いがするその水を、瞼の奥に押込みながら活栓に手を伸ばした。
早く行かなければ。あの陽が沈む。
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img:
hemitonium
re;
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55 STREET
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0574 W.S.R
/
STRAWBERRY7
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ｱﾚｺﾚﾈｯﾄ
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ﾓﾉｼｮｯﾌﾟ
/
ﾐﾂｹﾙﾄﾞｯﾄ
