「水飴と綿飴」




 ちゃぽん、と、金魚掬いの薄い膜が破れる音が水音に沁む。
 何処に行ったのかしら全く――。黒地に白い花の散り、赤い花弁がそれを食む、渋い彩り
を染抜いた艶やかな浴衣の袖を静は慣れた手つきで捌く。
 ただの独り言に過ぎぬ、問いかけに似た小さな言葉に、北原は黙ったまま答えずにいる。
かれをここから遠ざけたのは少年自身の手によるいつもの他愛ない悪戯で、答は知っていた
けれど、独り言だと仰るならば僕もお答えしますまい、と、心の中で勝手に決める。あんな
粗末(ちゃち)な罠にああもあっさり架かる男を、態態(わざわざ)援護(フォロー)してやる必要も無い。そんな義理もない。
仮令仕掛けたのがこの手であったとしても。
 関係ないでしょ、と、奇麗な朱色の鼻緒を朧り眺めながら少し笑う。
 騒騒(ざわざわ)
 騒騒。
 微熱に浮かされたような街並に(かか)る、子供騙しの魔法は祭りの後の気怠い夜気だ。
 果敢無(はかな)い、だなんて、随分と厚かましい事を云うねえと、去年の今頃機械的に頭の中に
詰込んでいた知識をぞろぞろ手繰り寄せながら、先人の残したらしい言葉の幾つかを手指で
辿る。二十歳にも満たぬ青二才の、抱く思いにしてはまた擦れているような気も少しする。
 街はこんなにも活気に満ちたのだと云う過去の栄華を主張する。
 馬鹿馬鹿しい。また少し笑う。
 蕩蕩(とろとろ)と、北原は手遊みに水飴を混ぜている。
 狂狂(くるくる)と妙にふしだら(、、、、)な白さの割箸で渦巻きを作り続けていると、段段熱を、呼吸を持って
来るような気がして合成樹脂(プラスティック)の器の中の透明な粘つきを凝乎(じっ)注視(みつめ)てみた。そんなのは
錯覚だと、耳障りな声がしたような気もするけれどそれは屹度自分の声だ。
 砂糖の焦げた匂いがする。
 醤油もどこかで焦げついているようだ。
 太鼓の音。笛の音。鈴の音までして随分と賑やかなものだと朧り思う。頭の中に靄でも
かかったようにうつらうつらと揺れるのは、連日連夜のこの暑さの所為ばかりではない。
 静は長い髪を高く結上げていて、細い頸の縁取りがただとても奇麗だと思う。
「流れ星?」
 つう、と、紗のような闇を伝い落ちる小さな粒を指差して、前を行く人は独り合点で
はしゃいでいる。
 違うよ、飛行機だよ――。
 口を開こうとして、つまらなくなって止めた。
 あれは流れ星だ。
 それでいいような気もした。
 騒騒。騒騒。
 静は長い髪を高く結上げている。細い頸の縁取りがただとても奇麗だと思う。
 ざらつく指を少し開いてみる。
 決して、
 本当には手を伸ばさない。


「折角綿飴を買ったのに。萎んじゃうわ」
 ほう、と、薄い唇を円く窄めて静は小さくため息を吐いた。意外と幼い顔もするのだ。
開け閉めを繰返しすぎたか、蓋の端の切れかけた透明な器を誇らしげに頭の上に乗せる
真似ごとで、北原はふにゃりと笑った。出来るだけあざとく、そこに居る人との隙間を、
間違ったやり方で埋めるように。
 少しぐらい、笑った顔が、(こそ)げてもそれはそれでいい。
「だから水飴にすれば良かったのに」
「谷崎君は綿飴が好きなのよ。だからこんな人混みの中こんな処まで足を伸ばしたんじゃ
ない」
「それで自分が逸れてりゃ世話ないねえ」
 くつくつと笑う少年を、静は長い睫毛に描かれた波斯(ペルシャ)猫のような眼で屹度見据えた。
「笑い事じゃないわ」
「笑い事だよ」
 へらへらとその笑みを引伸ばしながら、本当に可笑しくなって涸涸(からから)と笑う。馬ッ鹿じゃ
ないのあの人――。
「静さん可哀想」
「あなた、どれだけ失礼なの」
「可哀想だから水飴ね」
 もう寸暇(ちょっと)だけ混ぜたらあげるよ、と、聞いていないふりをしながら嘯いた。本当はいつ
だってちゃんと聴いている。意味が少し違っても、それはそれで別に善い。
「だからその綿飴頂戴」
「何よ、」
 結局自分だって欲しいんじゃない、綿飴――。呆れたように答えて、静は片方の眉だけを
器用に上げて見せた。
 意外と幼い、顔もするのだ。
 何処の誰が何と言って、この人にそれを望むのか強いるのか、そんなことは知りたくも
なかったが――。
 もっと可愛い浴衣でも似合うだろうにね、と、唐突に言って笑ってやった。
 出来るだけあざとく、間違ったやり方で。
 息苦しそうな顔をほんの一瞬覗かせて、解れた鬢を指でなぞって、
 煩瑣いわ――と、心から忌忌しそうに言うので少しだけ嬉しかった。


「ねえ頂戴よゥ、綿飴」
「厭よ。誰が挙げるもんですか、」
「じゃあ水飴(これ)も要らないっすか」
 残念、残念――。態とらしく言って後ろ手に隠す。谷崎が、と繰返す彼女の奇麗な木瓜(あけび)
型のうすい唇が、綿飴が欲しいの、と言ったことなど一度だってない。
 本当はいつだってちゃんと聴いている。意味が少し違っても。
 長い睫毛に描かれた、波斯猫のような奇麗な揃いの眼眸(まなざし)を、不機嫌そうにすっと細めて
静は小さく要らないなんて言ってないわ――と呟いた。
 声を挙げて少し笑う。屈託なく響いてしまわぬよう、精一杯気を張りながら。
「ほゥら見なさい。じゃあ交換ね」
 谷崎さんが可哀想だからさ――。
 ああ耳障りだ俺の声、今更のようにしみじみ感じ入りながら、北原は空いたほうの手で
二つの幸せそうな袋をすっと指差した。
「そっちで善いからね、うん、食べかけのほう」
 睨み返して来た顔は、矢っ張り子供みたいな眼をしている。






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季節外れにも程がありますか。
img:七ツ森
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