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ⅱ
「深夜のラジオをね」
私も好きになろうと思って――。
態態
(
わざわざ
)
ヘッドフォンを填めて、
寝台
(
ベッド
)
に
倚
(
よ
)
りかかった菊名はぽつりと言った。終わっちゃった
ときが、寂しくて、いいんだって――。
最初から分け合う気などないような、かの女のやり方にももう慣れた。慣れたはずだ。
蹲るようにして、どこかで見たような老いぼれた本を熱心に読耽る後ろ頭に、へえ、と気の
ない相槌を投げて、宮沢はＴＶの電源を入れた。鮮やかで薄っぺらな色合いをした、四対
三の画格の中の空騒ぎを黙って眺める。水の中に沈められたような、気の遠くなるような
底のない静けさ。
「…
本
(
これ
)
が欲しいわけじゃ、なかったの」
「おれに言ってどうなんの。どうにかなんの」
どうしたら善いの。そこまで重ねて問うてしまいそうになり、つまらなくなって止めた。
下らない。本当に下らない。
宮沢も菊名も、石川や谷崎と共に籍を置くサークルではなく、元を正せば同じ工学意匠
研究室の後輩として中原と知己を得た。理系学科では
絶滅危惧種
(
、、、、、
)
とされる女子の、それも
久しぶりの当たり年だと云うので、注目の的だった菊名に唯一興味を示さなかったのが
中原だった。別段
硬派
(
ストイック
)
だったわけでも何でもない。興味の対象が他所にあるだけだ。
言ってみれば、宮沢は意匠科の中でも一二を争う優秀な生徒だった。工学意匠と云えば、
所謂座学めいたお堅い学問としてのみならず、ちょっとした
芸術家
(
アーティスト
)
感覚で
その道
(
、、、
)
でも持囃
されるある種の
銘柄
(
ブランド
)
だ。それまでは何処に行っても異色扱いだった宮沢は、この場所に来て
信仰対象
(
カリスマ
)
になった。硝子玉に閉込めた小さな砂漠や、水槽の底で鳴る
自鳴琴
(
オルゴール
)
など、幾つかは
実際に商品として店頭にも並んでいる。好悪の区別を抜きにすれば、今やかれを知らぬ
もののほうが稀だろう。ある意味で、宮沢は間違いなく勝者だった。だから余計にやり
切れぬのだ。
中原は――そうした個性派集団の中に居てさえ、何処か浮いていた。親許を離れた解放感
か、それまでの決して短くない時間を机にかじりついて生きて来た反動か、
挙
(
こぞ
)
って大学
開化
(
デビュー
)
を果たしていく周囲を余所に、
適当
(
スローライフ
)
を絵に描いたような
身態
(
みなり
)
が妙に垢抜けていて不遜に
映った。何日も籠りきりで、何をそんなに憑かれたように創っているかと思えば、確実に
直撃世代
(
リアルタイム
)
ではないはずの、大昔の戦隊ものロボット――原寸――だったり、
写実的
(
リアル
)
過ぎて
いっそ気色の悪いハンプティ・ダンプティの模型だったりもした。解らないのはそれが、
細部に至るまで凡て
鐵工
(
てっこう
)
によるもので――またそれだけの技術を持ちながら、その
儘
(
ことごと
)
くが
模造
(
レプリカ
)
であると云う事実だった。
問えば創作の才は無いのだと笑った。かれが宮沢を高く評価し、時に悔しげな顔をすら
覗かせるのが、宮沢を尚のこと打ちのめした。創るものでは誰にも負けたことなどないと
自負していた。その意味で宮沢は、確実に勝者だったと云うのにだ。
菊名と中原が、何を
契機
(
きっかけ
)
にお互いを認識するようになったのかは、実を言えばまるで
知らない。見当も付かない。ただ、宮沢と菊名が一回生の冬のある日、中原は忽然と姿を
消した。束の間の自由を漫ろ歩く学生と云う群れの中で、どちらかと云えば淡淡と日々を
生きていたかれが、一体何を思って近しい凡ての顔触れと三回後期の単位を
抛
(
なげう
)
ったのか、
誰ひとり知らなかったし、誰にも見つけられなかった。
根津に――。
中原といつも
連
(
つる
)
んでいた先輩が、不用意に口にしてはその場に居たもう一人に無言の
視線で黙らされていた。どれほど食下がっても、二人は頑として多くを語らず――だから
宮沢は、そして恐らくは菊名も、根津と云う名の主が何処の誰で、それどころか男なのか
女なのかさえ、ほんのひとかけも知ることはなかった。
主の消えた砂壁の古いアパートに、昨日まで人が住んでいたままの日日を添え残された
のは鈍色をした手製らしい
輪廓
(
ライン
)
の、優に十
粁
(
キロ
)
はあろうかと云うノートパソコンで――その
如何にも
偏執狂的
(
やりすぎ
)
な、中原らしい置き土産に、宮沢は肚の底から――息が詰まりそうな
ほどの威圧感を抱いた。決して不快ではないその重力の下、魂を抜かれたような顔で佇む
菊名を見て――漸く、漸くそのことに気付いたのだ。
ＮＥＣ。
散散な改造を施したノートには、矢張り誇らしげにそう記されていた。
紙のように白くなった顔で、菊名は
凝乎
(
じっ
)
と、その文字を見ていた。
右のポケットに招き入れていた細い左手が冷えていくのを感じた。
――菊名？
不安で堪らなくなって尋ねるようにそう呼びかけた。
まるで気付きもしない横顔で、菊名は細い、息を洩らした。
「嘘」
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これも前後編で終わらないとは…
respect for "Monkey Farm"
img:
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